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詩篇115編・ フィリピの信徒への手紙 1章12〜20章 フィリピの信徒への手紙の中で、パウロは囚われの身となりながら、牢獄の中からも伝道がなされていることを喜んでいることが記されている。パウロに限らず、キリストに生かされている者は、日常的な全てのわざは神様の栄光のために行われると信じている。なぜなら、キリスト者は、自分のために考え、自分のために行動することが当然の世において、自分の栄光を求めず神の栄光を求めるイエス様に出会って驚かされた者たちだからである。神にのみ栄光あれ、と思う生き方を一人でも多くの人にして頂きたい。 キリストが伝わるというパウロの喜びは、大きく分けて3つの要因がある。@獄中で祈り賛美歌を歌うパウロの姿に接して兵役及びその家族にキリストが伝わった。喜ばしい。A法廷に出廷して、反逆を企てているのではなく、キリストを証することができた。キリスト者の代表として法廷に立ち、キリストが伝えられる事実を喜ぶ。B他のキリスト者が勇敢に伝道するようになった。これは、自分の身は拘束されていても神の言葉は繋がれていないことを示している。 栄光は神にのみあるので、私達は自分の弱さを嘆かなくても、その弱さを用いて下さる神を讃えればよい。伝道がたとえ動機が不純であっても、正当な福音がなされていれば、誰がどのように伝えようと前進することは喜ばしいことなのである。福音を「赤いりんご」に例えれば、「赤いりんご」を誰がどのような方法で運ぼうと、真実であろうと口実であろうと、前進することが喜ばしいのである。詩篇の箇所には「わたしたちではなく、主よ、わたしたちではなくあなたの御名こそ栄え輝きますように/あなたの慈しみとまことによって」と記されている。全ての働きは、自分のためではなく、神様の栄光のためであり、キリストが崇められますようにと祈る者でありたい。 |
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